学生はお客様か神様か?
前回に引き続き、とまたろうさんのVoicyを聴いて、考えたことを書きます。

お店に出せない、虫食いの野菜がめっちゃ美味しいらしいんです。考えてみれば、美味しいから虫ちゃんもバクバク食べてるわけですね。でもそんな野菜はスーパーなどでは引き取ってもらえない。いや、スーパーに出したとしても、私たち客のほうが、きれいな”シュッとした野菜”(by とまたろうさん)を選んでしまって売れないんですよね。
うーん。私たち、美味しい野菜を食べたいはずなのに〜。
聴いていて、ふと(一部だけど複数の)日本語学校が頭に浮かんできました。
学生を神様扱いしている日本語学校。
学生だっていろんな人がいます。総じて若く、成人していたとしても子供っぽい人もいるし、何より完璧な人はいないわけだし。
そんないろんな学生のクレームや要望をすべて聞き入れてしまっていいの?
たとえば、ある教師がコミュニカティブな授業に取り組んでいたら、声の大きな学生に
「授業は先生が前に立って講義するものでしょう。先生は遊んでいる」
なんてクレームを事務局に出されたりすることもあります。
それを主任がそのまま受け入れ、担当教師に「もっと講義的な授業をしてください」と言っちゃう。
(*便宜上「主任」と言いますが、専任でありマネージメントする立場の教師のことです。)
担当教師が「えー、そんな(前時代的な)…。学生にもっとアウトプットさせるべきかと思います」などと言っても、主任は
「学生はお客様なんです」
などと言うんです。
そりゃ学生はお客様だけど、全部受け入れてどうするよ〜。担当教師の授業の意義を、ちゃんと学生に説明するのが主任の役目じゃないの〜〜?
特に、アジアの学生は古い教育体制を受けて来た人も多く、そんな人の中にはその教育が絶対だと思っていて、そんな人の中で声の大きい学生がクレームを言ってくることがあるのです。
アプリやサービスを使うと、手を抜いていると言ってくる学生もいます。
そうすると主任が担当教師に「そのアプリは使わないでくだい」と言う。。。
複数方面から聞く話です。
担当教師がいい授業をしようにもできない、そんな日本語学校も(一部ですが複数)あります。主任に、自分の学校をいい学校にする気があるのか?という疑問を持たざるを得ないです。
学生はお客様だけど、王様・神様じゃないです。
とまたろうさんのVoicyを聴いて、以前から時々思っていたことが、ドカーンと頭に出現したので書きました。
みなさんが行っている・行っていた・聞いた日本語学校(専門学校含む)はどうですか?